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2012年1月 6日 (金)

羽田正『新しい世界史へ』

2012年最初の記事は、昨年末に岩波新書から発売された、標題の書のレビューです。

本書は、各国の視点から見た「世界史」ではなく、地球市民として共有すべき「グローバル・ヒストリー」の重要性を説いたものです。

僕は、10年以上前、ドイツの空港で乗り継ぎ待ちをしているとき、隣に座ったイタリアの女性との会話を思い出していました。彼女は大学院生で、どうやらキリスト教の教義にかかわる研究をしていたようでしたが、誕生日なので家族のもとに帰るのだ、といっていました。

その彼女に1つ質問をしてみました。それは、あなたは誰か日本人の名前を知っていますか。というものです。歴史上の人物でもよいし、現在活躍する文化人でも政治家でもスポーツ選手でも、どんな人でも好いから、だれか知った人はいないか、と。

彼女の答えは、ごめんなさい、知りません。というものでした。

そうなのか、と少し驚きました。僕は、イタリア人では、こんな人たちを知っているよ。と話をしたのを覚えています。

その時感じたのは、ヨーロッパ人は、ヨーロッパの歴史を学んでおけば、それで十分なのかな、ということと、日本人は、日本の歴史だけでなく、ヨーロッパを中心とした世界史を学ばないといけないというのは、どこか不条理だな、という感覚でした。

本書の内容はそう言った感覚を持っていた僕にとって、とても受け入れやすいものでした。

著者によれば、日本で世界史を学んでも、フランスや中国で世界史的な科目を学んだ人たちと共通認識を持っているわけではない。にもかかわらず、それぞれが世界の歴史を学んでいる、と思って(共通認識を持っていると考えて)いると、それは大きな誤りである、と指摘しています。たしかに、21世紀、我々は、地球市民として、共有できる歴史認識があると、我々が抱える諸問題に対しても、今とは違ったアプローチができるのではないかという予感かあります。

ヨーロッパやアメリカの相対化、世界各地域がお互いに影響しあい、結果としてある潮流や現象が起こったというスタンス、このような視角によって述べられる世界史を通して、世界の見え方が現在とはまた違ってくるのではないか、そういった期待感を抱きました。

僕が学生だった20年くらい前は、ウォーラーステインの世界システム論を読んで、うまいこと説明するなぁ、と感動したものでしたが、著者の考え方はウォーラーステインとは全く違うスタンスをとることになります。ウォーラーステインによると、どこかの国や地域がある時代の中心となり、その周辺の地域を巻き込んで、経済的なシステムを築く、というものでした。

これは、現在の世界史の教科書にも色濃く反映されており、僕自身もこの感覚から抜け出すのは、大変だなぁとも思いますが、世界史叙述の新たな挑戦に、期待を大にして待ちたいと思います。

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